読書記録・研究生時代

(2001年10月〜2002年9月)


以下は日記からの抜粋です。
最近読んだものから順に並んでいます。


地質学・古生物学

自然科学一般

科学哲学・科学倫理学

実用書

文学など



人間の証明(森村誠一著/角川文庫)

タダの推理小説と思うなかれ。ずいぶん昔の作品であるが、最近読んだ文庫の中では一番こころに残った。
遠い異国の地で衆人環視のもと倒れた黒人、幼い時に父を虐殺された刑事、心の通わない親子。
登場人物らは心に深い傷を抱え、極度の人間不信の中で生きている。筆者はそれを、あくまでも淡々と、まるで救われないもののように描写し続ける。
しかし、人はそれでも、心の奥底では人を信じ、愛せずにはいられないものなのだろう。たとえ全てを失ったとしても、人は人である証明からけして逃れられない。(2002/09/14)


海の働きと海洋汚染(原島省・功刀正行著/裳華房ポピュラーサイエンス)

この本はアタリかも知れない!海洋の水循環,物質循環,リモセン,モデル,その他海洋環境科学のとてもわかりやすい入門書である.親父の会社(某製鉄系シンクタンク)で廃棄処分にされたのを拾ってきた本なのだが,かなりトクした気分だ.
浅く広く,基本的なことが尽くされているので,学部生の教科書には本当にピッタリだと思う.(2002/08/08)


空飛ぶガチョウはなぜ太らないか:ヒトと動物の進化戦略(E.P.ウィドマイヤー著/化学同人)

この本は,呼吸や体重,循環,知覚などの生理作用を研究する「動物生理学」という分野の一般向け入門書である.なぜ肥満になってまで我々は食べてしまうのか!?というナゾを,この本は一般向けにわかりやすく解説してくれる.でも私には,実際の生理学という学問についてつまびらかに示しているエピローグと巻末注が特に面白かった.
それはそれとして.世界の人口の半分が飢餓に苦しんでいる中で,アメリカの人口の半分近くが肥満に悩んでいるという現状はどう考えたってマトモではない.こんなものは生理学とか進化戦略ウンヌンより,むしろ社会科学の問題なのだろう.アメリカ人がバクバクと好きなだけ食べまくって出た腹を引っ込めるために購入したアブトロニクス1台分のお金で,アフリカ最貧国の労働者の生涯賃金が10人分ぐらいまかなえるだろうに!(2002/08/06)


海辺(レイチェル・カーソン,著/平凡社ライブラリー)

レイチェル・カーソンといえば何と言っても「沈黙の春」で有名なんだろうけど,彼女の専門はやはり海洋博物学者である.圧倒的な知識と美しい文体で書かれた海辺の生物の物語にグイグイと引き込まれる.特にわずか3ページの終章は何度でも読み返したくなる.
彼女は地質学についても驚くほどの造詣の深さを示しているが,やはり1955年の出版ということもあり,今となっては古い解釈も散見される.パナマ地峡が成立したのは現在の説ではたかだか300〜400万年前であるので,彼女がp.316-322にかけて展開しているマングローブの起源についての矛盾は既に解決してしまっている.(2002/08/02)


生物進化を考える(木村資生・著/岩波新書)

「きむらもとお」と入力して「木村資生」とすぐ変換されるあたりがすごい.さすが日本で一番有名な進化学者である.
この本は集団遺伝学,そして著者お得意の中立説の入門書である.とってもわかりやすいし面白いが,長く読んでいると飽きる(^^;;
しかし、最後の章「進化遺伝学的世界観」はどうにも首をかしげたくなるような内容である。筆者は科学の万能性をあまりにも無邪気に信じすぎているような気がする。私は優生学をあらゆる意味で支持できない。だいたい,いま時点で適応的に有害な遺伝子変異であっても,将来にわたって有害だとは限らないことは、それこそ生物進化の歴史が証明していることである。ある身体的・精神的特徴が有害かどうかの認定には,必ず多数者の論理・少数者への差別が入り込む。現時点での有害・優越の判断でヒトの出生を規制できるような制度は絶対にキケンで,それこそ未来への冒涜だと私は思う。(2002/08/01)


新装版・アンチパターン:ソフトウェア危篤患者の救出(ソフトバンク)

第1章のさわりだけ。

ソフトウェアプロジェクトの殺し方
デザインパターンの本は数あれど、この本はなんと失敗するためのパターン(=アンチパターン)を(ジョークも交えて)分析した本である。
ソフトウェアプロジェクトの5/6は失敗であり、1/3のプロジェクトは途中で中止され、2/3のプロジェクトは予定の倍の予算と時間をかけてやっと完成しているのだそうな。
問題の根底にあるものは、やっぱりコミニュケーション不足と無知、無関心、高慢などだ。この本はそうした原因によって引き起こされるアンチパターンを整理して提示し、その自覚と早期発見を促す。
ソフトウェアの開発経験が無くてもそれなりに読めるし、よい教訓になると思った。(2002/07/25)


知の欺瞞(アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン著/岩波書店)

2年以上前に購入して以来ずっと「本棚の肥やし」状態だったのだが、浅田さんの「構造と力」を読んだ機会に改めて読み直してみた。
この本は「ポスト構造主義」(ここでは「ポストモダン思想」と言っている)の著作物の一部について、その中で頻用されている自然科学用語のデタラメな引用ぶりを徹底的に暴いたものだ。結果的に、ポスト構造主義そのものや、それと密接な関係を持つ「過激な社会相対主義」の論理的不整合を浮き彫りにすることになる。
私が「構造と力」を読んで感じたポスト構造主義への疑義は、この本を読んでさらに確信に近くなった。ポストモダン思想の全てがトンデモと言うわけでもないだろうが、彼らの思想には鋭く批判的に対しないと危険だと感じた。

それ以前に、慣用的に社会一般で広く使われている科学用語(カオスとか位相空間とか相対論とか不完全性定理とか)の正しい意味をこれ以上ない最悪の反面教師を使って適切に解説してくれる、良い入門書でもあるかも知れない。
科学哲学、科学倫理に興味がある人は必読だと思う。(2002/07/10)


ミミズに魅せられて半世紀(中村方子・著/新日本出版社)

この方は日本の女性博物学者のパイオニアである。ミミズのような移動能力が乏しい動物の生物地理学は、特に1950年代以降のプレートテクトニクスの発展によって重要なものになる。デボン紀に陸上に進出したミミズの生物地理は、その後の超大陸の集合と離散を記録している可能性があるのだ。
しかしそこで問題になるのは人間による擾乱である。今や、絶海の孤島のような所にまでミミズが分布している。多くは人間が農作物などと一緒に持ち込んでしまったものだ。

・・という自然史的な興味よりも、むしろ中村さんの女性科学者としての壮絶な生きざまの方がはるかに心に響きます。(2002/07/05)


はじめての構造主義(橋爪大三郎・著/講談社学術文庫)
構造と力(浅田彰・著)

1980年代の「ニュー・アカデミズム・ブーム」(略称ニューアカ)を代表する「構造と力」を遂に読んでしまった。
80年代大学生はこんなモンを読んで「ポストモダン」とか「過剰なサンス」とか口走っていたのか・・・!あぁヤなブームだ。
そんなミーハー趣味に走っているうちは所詮モダンさ。ニーチェがどうしたとか、すぐ自分の言葉を権威づけたがる奴はプレモダンだ。こんな本、寝っ転がって読んでページをポテトチップの油で汚し、読んだら即捨てなければならない。

・・こんな事を書いてしまうなんて、私もこの本に相当毒されてしまったようだ。

科学者にとって「構造主義」は是非とも必要な概念である。構造主義は特に、人文科学系、小説とか社会とか人間関係とか、複雑すぎて科学的分析に馴染まない(と先入観をもたれている)対象を、どうにかしてアルゴリズムに還元してシミュレーション可能にしてくれる。つまり、これらの対象を反証可能な科学の土俵に引き入れるためには避けて通れない考え方なのだと思う。
自然科学の分野でも、構造主義の影響を強く受けている思想は多い。
うちの教室について言えば、郡司ペギオ幸夫さん達の大学院生時代はまさに構造主義の影響を強く受けている。郡司さんの提唱する内部観測の概念は構造主義と無縁ではない。

・・で、この構造主義の概略を知るには、はじめての構造主義だけで十分だと思う。
「構造と力」に出てくるポスト構造主義という概念になると、途端にいかがわしさが増して科学としては成立しがたくなるので、こっちは読まない方が良いと思う(ただ、面白い・うがった社会への視点が得られるのは確かかと)。
橋爪さんも書いておられるが、ポスト構造主義というのは、いったい何がどう「ポスト」なのだろうか?ポスト構造主義の方々は「近代は構造主義の枠内では分析不可能である」と言うが、そりゃアルゴリズム還元への努力をサボっているだけに私には思えてならない。
無意識だのカオスだの(この方々の「カオス」という言葉の使用法も間違っているような気がするが)、記述不可能な「外部」に逃げてしまっては、何も有意な(役に立つ)分析はできないよ。(2002/07/05)


進化論という考えかた(佐倉統・著/講談社現代新書)

この本は生物学を出発点にしているが、扱う対象は生物学に留まらない。「進化論」という思考の枠組みを概説し、さらにその思考の対象を意識や社会、情報にまで発展させる。
ミームとか社会進化学とか、生物進化学プロパーの人が眉をそびやかしそうな挑戦的な試みがどんどん出てくる(ただし、一部の人が言うような「トンデモ」ではないと思う)。
科学の「物語性」については私も全く同感。でも、この事について書かれた章のアイデアはもともと瀬名秀明さんが提供したらしい。なんとなく納得。
読みやすいし、面白かったです。(2002/07/04)


生命と地球の歴史(丸山茂徳・磯崎行雄・著/岩波新書)

こういう新書や文庫本を読むのはたいてい忙しい時期である。
つまり、ヒーリングミュージックを聴きつつハーブティーをすすってグールドを読むような余裕が全くない時に乱読するのである(なんじゃそりゃ)

この本は「生命と地球の共進化」という、いま日本の地質屋の中で一番ホットな進化史思想の全体像をわかりやすく紹介した入門書である。
とくに丸山さんが専門にしているプルームテクトニクス(地殻−マントル−核といった地球の総体を司る進化プロセス)についての解説は挑戦的で面白い。地球上にほとんど地質記録が残っていないような冥王代・太古代の地球ダイナミクスに筆者らがどのように迫っていくのか!その基本となるのは日本のお家芸である付加体地質学、そして詳細な化学分析である。
読んでいてワクワクしてくるし、色々なアイデアが浮かんでくる。でも恥ずかしいのでここでは話さない(ぉぃ(2002/07/01)


現代倫理学入門(加藤尚武・著/講談社学術文庫)

われわれ科学者に特に関係ありそうな項目は最後の3章、倫理の通事性と環境問題(第13章・現在の人間には未来の人間に対する義務があるか)、相対主義批判(第14章、正義は時代によって変わるか)そして科学倫理(第15章、科学の発達に限界を定めることができるか)かな。
読者に特定の答えを与えず、現代の我々が置かれている論争を提示して終わる。各章を読んだ後もさらっとは流せず、思わずフームと考えさせられる。なかなか良い教科書だなぁと思った。
この人は他にも科学倫理・科学哲学の論文をたくさん書いている。一部は彼のホームページでも読める。[こちら](2002/06/30)


人類および全脊椎動物誕生の地−−日本(岡村長之助・著/岡村化石研究所)

ついに理学部図書館からこの本を借りてしまったっ・・・!!うきうきわくわく。

この著作は小説ではない。・・・一見創作のように見えるのは、それによってもたらされた真理が余りにも現在の通説とかけはなれているがためである。・・自然科学界を指導してきたダーウィニズムも、新事実の前には後退せざるを得ない現実に直面することとなった。
著者は古生代石炭紀の長岩石灰岩から、人類を含む百余種に及ぶ大量の化石を報告した。しかも、愛児を抱いて徒渉するミニ父子の化石ランニング中のミニ人の化石など、その古生態を余すことなく伝える素晴らしい化石である。そして、さまざまな成長段階の「ミニ人類」化石から、その発生プロセスについても考察している(古生代のミニ人類は卵生だったらしい)。
ところでダーウィンは又いった。その一元とは現生とは必ず異なった形質を持っていた筈であると。・・事実においては長岩の化石動物は現生生物と全く同一の形質を持っていたのである。この生物種の永久不変の事実は我々人類の知的生活には実に重大な基本であって、これがあるために我々は安んじて華生の学問、芸術、その他の事業を後世に残すことができるのである。
人類が数ミリ大だったり卵から発生したりするのは現生と同一の形質と言えるのかいな とにかくアッケにとられるほどのパワーで化石を分析しまくる。
さすが1996年のIg Nobel Prize[こちら]を受賞しただけのことはある。(2002/06/28)


破戒(島崎藤村・著)
家出のすすめ(寺山修司・著/角川文庫)

この2冊を平行して読んだのは私ぐらいだろう(笑)いや、ただの偶然なんですが。
テーマは「旧習打破」と「批判的精神」、といったところか?
やはり「破戒」の安直なハッピーエンドには全く納得がいかない。なぜ丑松は跪き泣いて謝らねばならんのだ?なぜテキサスに逃げる?もし丑松の断罪すべきが自己にあるのならば(私はそう思わないが)、安直に救われてはいけない筈だ。より深い絶望と悲壮の奈落からの、それでも生きるという一歩からしか希望は表し得ない。
・・いかに文豪・島崎藤村と言えども、さすがに明治時代の作品に人間の解放と自立を叫ばせることは無理だったという事か。

寺山修司なんて、「家出のすすめ」を書いたのは27歳ですよ?いまの私より2歳も年下なんて信じがたい。
この本は、とにかく青年に家出をすすめてしまう本である。当人の家庭が平和で不満が無くとも、「だからこそ自己の確立のために家出が必要なのです」と説く。実際、この本に影響を受けて家出する地方出身者が続出したらしい・・!
彼はまず、家父長制をはじめとする家庭制度の束縛の全否定から入るのである。青年が自己の確立のため、まず自己と明らかに敵対するものを想定し、それへの全否定から自己の立場を構築していくという方法論はまさに弁証法そのものである。それはわたしの父親の世代の青春時代を代表する「批判的精神」であった。
その例として「サザエさん」を徹底批判している所が痛快で爆笑ものだ。

私は既に10年も前から家出をしているので、共感できる所も多々あるのである。一人暮らしをしてから初めて、同居者への心配りを知った。距離を置くことで、両親への感謝の思いが強くなった。私の高校時代は親の過干渉とそれへの反発だけで日が暮れたが、反発するぐらいなら自分から飛び出した方がお互いにとって良いのである。(2002/06/26)


日本全国化石採集の旅
続・日本全国化石採集の旅
完結編・日本全国化石採集の旅
(大八木和久・著/築地書館)

筆者は化石や自然に親しむために、公務員の職をなげうってまで自由人として生きる事を選択した。生活の安定や恋愛とはほど遠い日々を過ごしつつも、彼は何だかとても和やかというか、楽しそうに生きているのである。
私も身分的には自由人であるが、それでも研究室では組織の論理からの束縛を免れない。自分の究極的な自由のために、他の多くを捨てることができるか。それだけの意志をもって自立する事ができるか。大八木さんには、それが出来てしまった清々しさがある。

ちなみに私も自室に大量の化石を抱えている。ほとんどは小学生時代から地団研の日曜地学ハイキングなどで採集したものだが、一人で採集したものもかなりある。
ガキの頃から好きだった化石を未だに研究できるのは、私にとって身に余るシアワセだとしみじみ思った。(2002/06/26)


化石(井尻正二・著/岩波新書)

井尻正二は私が特別に好きな作家だが、それでも100冊を超える彼の著作の中の20冊あまりを読んだに過ぎない。
彼は専門的な事を一般向けに易しく語る事に長けている。この本は古生物学に関する彼の思想の入門書的なものであるが、やっぱりとても読みやすくてあっと言う間に読んでしまえた。
彼の古生物学に対する情熱、特に実験を重視する新しい「古生化学」を日本で打ち立てようとするいきさつは刺激になった。

彼はラマルキストであり、経験的に獲得形質の遺伝を確信している(しかしその根拠、外因が内因にどのように作用するかは挙げていない)。
生物進化24の法則は改めて見るとかなりぶったまげる。しかし、これらの理論は古生物学の世界ではつい最近まで健在だったのである。私が学部生の頃までは、古生物学の授業で体躯増大の法則や特殊化増大の法則が教えられていた。
こういった見かけの進化法則の一部はシンプソンやグールドによって論破されたのだが、彼らの反論が日本の古生物学教室に受け入れられるのには時間がかかったのではないかと思う。
あと、なぜか私はZittel のテキストブックの第2巻を持っているのだが。。
これが「古生物学史上、最大の古典」(p.48)であるとは初めて知った(^^;;;
Zittelさんってのは横山又次郎先生の師匠だそうな!!結構高価だったが買って良かった。。(2002/06/16)


目に見えないもの(湯川秀樹・著/講談社学術文庫)

初版以来、学問に志す多くの若者達の心をとらえ続けてきた名著である。(背表紙解説より)
湯川秀樹がノーベル賞を受賞する直前、戦前〜戦直後にかけて執筆したエッセイである。
前半は物理学の基本的な世界観を判りやすく解説し、後半は彼自身の半生紀と日常が語られる。彼の科学への率直な信頼と情熱は、彼が専門とする素粒子物理学に留まらず、生命や精神、未来を対象にする場合にまで及ぶ。これから科学を志す若い人に、ぜひ読んでもらいたい本だと思った(ワシも若いかも知れないけど)。(2002/06/15)


現場主義の知的生産法(関満博・著/ちくま新書)

地域経済に自分の足と肝臓で(!?)切り込む気鋭の経済学者が、自分の豊富な経験からフィールドワークの重要性と精神的方法論を力説する。
面白くて文章に勢いがあり、一気に読まされてしまった。
私も前世紀後半の5年ぐらいは、年間50〜100日程度のフィールドワークに研究の力点を置いていた。私にとっても、現地で直接見て感動するプロセスが一番面白いのである。ルーズリーフやカードでは無くノートを中心とした記録法、一方で執筆せねばならない「債務」がどんどん溜まっていって追い立てられている所なども作者と大いに共感できる(ぉぃ
ただ、私が反省させられたのは、それだけ多くの日数をかけて日本中を巡ったフィールドワークにも関わらず、ほとんど人脈を作ってこなかった事である。。。
まぁ、フィールドワークと言っても人文系の調査とは違い、人跡未踏な山の中でウロウロしている事が多く、多少は仕方がない事なのかも知れないが。。。それでも多くの人と出会えたハズなのに、今でも続いている付き合いはほとんど無い。データを刈り取るだけの、完全な「お客様」状態でした(苦笑)
著者が言うように、現場で出会う人々に対し「勇気」と「希望」を持って積極的に「提案」を行っていくこと。現場の人々に貢献したい、一生の付き合いをしていきたいという意識を強く持つこと。そういう本気(マジ)の調査も是非経験したいと思った。(2002/06/13)


アンモナイト学 絶滅生物の知・形・美(重田康成・著/東海大学出版会)

化石を研究する楽しさを一般の人に説明したい時に、こういう美しい図版集があると良いなぁと思っていた。化石マニア必携の書と言えるかも。
巻末に出ていた川下由太郎さんの手記、どこかで出版しませんかねぇ。(2002/05/17)


これから論文を書く若者のために(酒井聡樹・著/共立出版)

これは最強の論文執筆HowTo本である。判りやすいし、論文執筆に必要なツボを良く押さえていてとても参考になる。何より、例文がブッ飛んでいる。このテの教科書の巻末索引にベガルタ仙台だの牛タン定食だの山形県総合運動公園陸上競技場が出てくるのはどういうこと!?誰が検索するんじゃ!(2002/05/15)


BRAIN VALLEY(瀬名秀明・著/角川書店)

ようやく読んだ。読みながら「あぁ、今オレの脳の活性部位はこの辺かなぁ」なんて意識したりして、なんだか自分の脳が再開発されたような気分。SF(サイエンス・フィクション)って言うからには、科学知識の情報量がこれくらいあっても良いのではないかと。というか、むしろ過剰な科学知識の展開が新鮮で脳に心地よい。(2002/05/07)


方法序説(ルネ・デカルト著/プロジェクト杉田玄白)[こちら]

デカルトの「方法序説」の、おそらく地球上でもっとも読みやすい日本語訳を読んだ。「我思う、ゆえに我在り」で有名な例の文章である。
実はデカルトさんは「自分の理性を物事を考える出発点にしよう」という、ごく当たり前の原則をきちんと言っているだけなんだね。そのための方法論を、傭兵どもが蹂躙する30年戦争当時のドイツを放浪しながら確立し、さらにそれを自然への考察としていろいろ実践しているのがスゴイと思う。
ファインマンさんが「ご冗談でしょう−−」の本の中でデカルトさんの事をケナしているが、そりゃ現代の科学者から見れば彼のたどり着いた自然観・科学観なんて「当たり前すぎる」か「未熟」かのどちらかだろう(「神」についての部分は、実はデカルトさんの方法論の中では本筋じゃない事に注意)。デカルトさんが物理学を完成できると思っていたなんてのは噴飯ものだが、しかしそれは彼が自らの方法論に絶大な信頼をおいていたからであり、そしてその方法論は今でも我々の科学観の基礎として通用するものも含んでいる。(2002/05/04)


地盤の科学(土木学会関西支部・編/講談社ブルーバックス)

いろいろ土木・建築関連のアルバイトをやっていると、理学部で習うような地質学の知識だけでは足りないことも多い。そう思って、なんとなく応用地質関連の本も意識して読むようにしている。こいつはブルーバックスだけあって、とても平易で読みやすかった。(2002/04/24)


Systematics and the fossil record(A.B. Smith, Blackwell Science)

化石分類について悩んでいる人には、この本をオススメしたい。この第2章が「化石記録における種」というタイトルなのだが、我々が依って立つべき種概念と方法論がとっても平易に解説されている。
たとえばこの章の冒頭をちょっと訳してみるとこんなカンジ。

種概念

多くの研究者は、種を実在するカテゴリーと見なしている。
”進化する実体は種である。種は分化しまた変化する。属や他のタクサ階級は何もなさない” (Ghiselin,1984b, p. 213)

種は通常、分類学的研究で認識される最小単位であり、最も大進化パターンを生み出す事に関連している階級として広く認められている。しかし、これまでには多くの異なる種概念が提唱されていて、それぞれに意味と限界がある。化石記録に含まれる種は、進化パターンとプロセスを推論する基礎データを構成するものである。この章は化石種が何を表現し、また化石種について妥当に言えることは何かについて述べる。
種概念についての記述は多岐にわたるが、基本的には2種類に分けられる。(1)生物学的過程を強調したもの(プロセス由来の定義)、そして(2)何によって認識されたかという操作的な意味を強調したもの(パターン由来の定義)である。 ・・・
そして著者はそれぞれの種概念を説明したあと、化石記録に使えるのはパターン認識に基づく操作的な概念のみであり、分岐図によって表現されるその最小単位を「phena」という言葉で定義している。
そしてこのphenaを定義するには(1)まず1地点・1層準でのphena内の形態変異をちゃんと把握すること(性的二形や成長による変態といった問題もふまえる)(2)それから異地点・異層準と比べて有意な形態差を見つけること、と解説している。そして、具体例としてアンモナイトで性的二形が発見された例などを紹介している。
この本はもちろん他の章もオススメ。第5章は層序学的データの解釈について、第6章は系統樹作成、第7章はいわゆる大進化パターンについて。(2002/04/21)


大古の海の記憶 オストラコーダの自然史(池谷仙之・阿部勝巳著/東大出版会)

そういえば去年、静岡では2回目となる国際貝形虫学会が開催された。日本で豊かな「貝形虫学」が花開きつつある事は、もっと日本の自然科学者の中で知られていても良いかも知れない。
貝形虫がPaleobiologyの分野で幸せな発展を遂げているのは、有孔虫などの他の微化石と違って「層序学の害毒」をあまり受けて来なかった事にもよるのではないだろうか?有孔虫は早くから石油層序などで示準化石としての分解能を要求され、その分類体系にいわゆる「層序学的種概念」や「進化的種概念」といった操作的な認識法を色濃く持ち込まれてしまっている。だから、研究者間で統一的な分類体系をまとめるのはどえらく大変になってしまうのだ。
古生物学では進化・発展する連続的な存在である生物を形態だけに基づいて分類しなければならないのだから、研究者間で分類基準を完全に一致させることは本来絶望に近い。その中でもより多くの研究者間で共有できそうな落としどころは、やっぱり現在生きている生物を理解することを方法のベースに据える事だろう。
有孔虫のメリットは層序学的に有用なゆえに研究者の人数もこれまでの研究の蓄積も圧倒的に多いという事にある。それを活かして次の発展につなげるのは僕らの世代の責任である。(2002/04/19)


ブラック・ジャックになりたくて(岩平佳子・著/NHK出版)

この本は、現役かつ第一人者である女性形成外科医の自伝である。まるで手塚漫画のブラック・ジャックのように、全26話それぞれが実際に出会った患者とのドキュメントになっている。ドキドキハラハラしながら一気に読んでしまった。
読みながら、私も中学生時代に友達とブラック・ジャックを良く読んでいた事を思い出した。
その友達とは随分無茶な事ばかりやっていたような気がするが。。ブラック・ジャックに憧れて手術のマネゴトをするために蛙の解剖をしたり、天体写真を撮るために登った屋根の上から転落してガレージに大穴を空けたり、福島の山の中まで野宿して鉱物採集に出かけ熱中症で倒れたり。。。彼はもう引っ越してしまったらしく行方が知れない。今ごろどうしているだろうか?
やっぱり手塚治虫って作家は偉大で、中でもブラック・ジャックという作品にはひとを強烈に衝き動かす何かがあると思う。この作品に憧れて医者を志そうとした事がある人は私以外にもたくさんいると思うんだけど、どうなんでしょうか? (2002/04/05)


サンゴ ふしぎな海の生物(森 啓・著/築地書館)

というわけで、退官記念パーティの引き出物としてもらった本を読んでみた。
#それにしても自分の指導教官の本を退官直前に初めて読むような弟子はいかがなものか(汗)

内容としては、「サンゴの自然史学を追求する」という森先生の姿勢がナチュラルに出ている本だと思う。第1章ではサンゴを主に生物学的な側面から概説し、2章ではサンゴ骨格やサンゴ礁の形成過程についての歴史的な研究を紹介し、3章では古生物学的な成果、4章では環境問題との関連を論じている。
文章はとてもわかりやすく、一般向けとしてはいいと思う。(2002/03/18)


脱・「英語人間」(遠山 顕・著/NHK出版)

著者名でピクッと来る人は英会話学習マニアだ。この人はNHKラジオ「英会話入門」の講師である。私もこの番組にはたいへんお世話になってます!そんな人が、なんで「脱・英語人間」・・!?

「英語人間」とは、英語をかじったために、いろいろな疑問や不安の縛りにあって悩む日本人のことです。
なんと!そういうことか。。。私はテッキリ、「ワタクシ、きょうから英会話講師を廃業します」てな告白本の類かと思ったのだが。。

この本は、英語を勉強してもなかなか上達せず、悩んだり自信をなくしたり、さらには何度も挫折を繰り返してしまうような人に、もっと気楽に英語での会話を楽しむための7つのヒントを提供するものなのである。
特に英米人の水平感覚をつかむこと。。つまり、日本的な上司・部下、店員・客といった敬語をベースにした垂直的な交際感覚と違い、英米人には相手が誰であってもファーストネームで呼び合う事に代表される水平感覚があり、その文化を尊重して会話を楽しむことが重要であることを強調しています。
けっこう目からウロコが落ちるような指摘が多く、面白かったです。これまた1時間ぐらいでサラっと読めるし。(20011115)


奇石博物館物語(瀬名秀明・著/KTC中央出版)

パラサイト・イヴの著者である瀬名さんが、母校の小学生を引率して体験授業を行うドキュメントです。

瀬名さんが重視している体験は3つ。まず、すばらしいものを見て感動すること。そして、感動した気持ちを大切にして徹底的に調べ、その対象について「博士」になるぐらい詳しくなること。最後に、その感動を他の人に魅力的なお話で表現すること。瀬名さんはこの3つを、中世からの博物館の原点だと考えています。博物館に求められるのは、ものを集めて並べるだけでなく、それが多くを語って人々を惹きつけ感動させるストーリーテラーの要素だと言うのです。
引率する先は、地学マニアの間では有名な奇石博物館。まさに石に自然や文化を語らせる事を主眼とした、ストーリー性の高い展示を見せる博物館です。子供達はこの博物館から、自分のとびきりのお気に入りを選び、それについてスケッチをとったりして徹底的に調べ、最後にそれをマンガや小説で表現していきます。この、小学生達が創作した物語が、また瑞々しくてステキなんだな!

科学者であり小説家でもある瀬名さんの切り口は私にとって新鮮で、とても刺激になりました。
博物館に関わる人は必読かもしれない。1時間ぐらいでさらっと読めるし。(2001/11/01)


今夜全てのバーで(中島らも・著/講談社)

相変わらず微熱と咳は続く.

「・・生きよう生きようとしても,たとえば雷が落ちて死ぬかもしれない.でもそれはあたしにとっては正しい,そうあるべき死に方だから文句は言わないわ.あたしは,自分とおんなじ人たち,生きようとしてても運悪く死んでしまう人たちの中で生きたいの.生きる意思を杖にして歩いていく人たちの流れの中にいて,そんな人たちのためだけに泣いたり笑ったりしたいの.だから,思い出になってまで生き続けるために,死をたぐり寄せる人たちと関わりたくないわ.」
(天童寺さやか@今夜すべてのバーで%中島らも)
時間ができて本をまとめ読みしていると,意外な人の本から意外な勇気をもらったりする.上の台詞は僕の心の最も痛い箇所を突き刺した.
例の「59歳・自営業者」さんの件を読んでしまって以来,僕は完全に死への妄想の虜になった.死を感じ死を夢みる者の妄言は,生きる意思をもつ生者に対して傲慢である.自分が死に囚われている限り,その自らの傲慢さに気づくことはない.転落への負のループを断ち切ることができるのは,自分自身しかないのである.自分自身が生に向き合う事でしか,克服し得ない.
一方で,自分の病気がすぐにどうにかできるものではないのと同様に,戦わねば克服困難な問題が常にある.病気でもアルバイトを続けなくては生活できないし,研究成果も常にあげ続けなくてはならない.
だが,若さにまかせて自分の健康を削り,さらに生命を秤にかけてまで思いつめて勝ち取ろうとしている今の道が,正しいものなのかどうか.もっと自分を生かしたうえで輝けるための道が,他にあるのではないのか?私は他の可能性から目を逸らし,それに気付こうとしていないのではないか?
病気が進行し,ほとんど何もできないような空白の10月,不安と焦りに苛まれるこの日々に何か意義を見出すときがもし来るならば,それは今の道と違う道を歩み始めた自分なのかも知れない.(2001/10/22)


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